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Gear8の歴史を築き、先頭を走り続けるディレクター。
誰よりも素早く丁寧に、一つ一つの仕事と向き合う

 

前回の社員インタビューから早6カ月…。ようやく第2回をお届けすることができます。お待たせしました。
今回は社歴が最も長い頼れるお姉さん、ディレクター北川の登場です!

 

両親の影響でデザイナーに、水野との出会いでディレクターに

2011年の合宿時(らしい)

お名前と年齢を教えてください。

北川ふくみです、1982年生まれの39歳です。

北川さんは大阪出身ですよね。

高校卒業までは大阪で、大学入学を機に京都へ移住しました。

どんな学生時代を過ごしましたか?

父がグラフィックデザイナー、母が元テキスタイルデザイナー・染色作家なので、物心ついたときからデザインを身近に感じていたし、小学生の頃からMacで絵を描いて遊んでいました。でも両親はそういう仕事の大変さをわかっているからこそ、「選択肢を増やすために進学校へ行き、大学で幅広いことを勉強したほうがいい」と言ってました。特に古文・日本史の授業が好きだったし、茶道部に入っていたりして日本文化に興味もあったので、大学は国文学科を選びました。

デザイナー一家なんですね!かっこいい!

父がスーツを着て仕事してる姿を一度も見たことがないですね。だから自分の中で社会人のイメージが全くつかめなくて。『これはまずい!常識の範囲を広げないと!』と大学進学を機に家を出た感じです。

国文学科に進学したとのことですが、就職したのはオンラインの雑貨屋さんですよね。そうした業種への憧れがあったんですか?

憧れというよりは他にピンとくるものがなくて導かれた感じです。何となくやっぱりデザイン系に進みたくて。働くなら現場を見てから決めたいと、大学4年の時にインターンではなくアルバイトで入れるウェブ制作会社を探したんですが、そんなに都合良くいきませんでした…。それで結局、夏休みの間だけ父の仕事を手伝うことになりました。さまざまな現場を体験して濃い1カ月間でした。

就職先はどのように決めたんですか?

卒論・口頭試問が終わった1月頃にバイトし始めた雑貨屋にそのまま入社しました。そこでは主にECショップの運用や制作を担当し、色の処理や写真の加工、そもそもデザインとは?みたいな基礎から教えてもらい、デザインからコーディングまでひと通りやりました。商品サイクルが早かったので制作もスピード重視。効率良く仕事を進めるスキルはここで身についたのかもしれません。社員数20名ほどでしたが業務システム開発、マーケター、商品管理、バイヤー、カスタマーサポート、ライター、カメラマンとあらゆるジャンルの人がいたのも面白かったです。

でも転職したのは約1年後と早いほうですよね。

ECサイトのページやバナーを作るうちに、自分で一からサイトを作れるようになりたいと思ったんです。もっと幅広く仕事がしたい、スキルを高めたいと、やる気に満ちあふれていました。

それで大阪のSI会社で働き始めたんですね。どういったお仕事をしていましたか?

企業サイトのデザイン、Flashアニメーション、コーディング、CMSの組み込みなどサイト制作全般に関わることができました。転職時に思い描いていた『仕事の幅を広げたい』という思いは叶えられました。

札幌に来た翌年、お正月の京都平安神宮での1枚。北海道では味わえない雪のないお正月ショットですね

順調なキャリアアップ。転職のお手本のような流れ。だがしかし、北川さんはなぜか北海道へ…!

25歳になる直前に引っ越してきました。理由はいろいろありますが、新たな環境でまた新しいことをしてみたいという気持ちがありました。メディア運営を主にやっている会社に入社して、コンテンツ作りやマーケティングの知識を深めながら、主にデザイナーとして働いていました。そこで出会ったのが弊社のボス、水野さんです。

以前のSummit記事で、水野さんとは因縁があると書いてありました(笑)。

水野さんはサイト制作をほぼ一人でやっていて、忙しそうだなと遠目に見てました。あるとき「手が空いてるなら手伝ってよ」と声をかけてもらった…までは良かったんですけど。実はそのときすでに水野さんの退職が決まっていて、後任を探していたんです。白羽の矢が立ったと言えば聞こえはいいけど、退職日まで3カ月しかない中で、ディレクションをやったことのない私がすべてを引き継ぐのは至難の業。苦労の連続でしたね。

ですが同時にデザインスキルが上達したのも、その頃とおっしゃってましたね。

そうです。ディレクションをするようになって、デザインスキルも上がりました。このあたりは以前のSummit記事を読んでいただけると(笑)。

水野さんからのアドバイスで印象に残っているものはありますか?

たくさんありますが、”自分次第で今いる環境を変えられる”というのはよく言われました。いかに周りを巻き込むか、そして今いる環境以外の人とも繋がって頼っていけばいいというようなことですが、札幌に知り合いがほとんどいない中で、自分だけで考えて悩むことが多い姿を見て、こういう言葉をかけてくれたのかなと思います。

多忙な日々を過ごした前職を離れたのはいつ頃ですか?

入社してから約4年後、28歳の頃に退職しました。30歳を迎えるまでに東京へ行かなきゃと思ってましたが、これもいろいろあって、もう少し縁のある北海道でやってみることにしました。当時5人目のGear8社員として、クラブ活動みたいな雰囲気でわちゃわちゃ仕事してました。

今では社歴最長のスタッフですね!ここまで続けてこられた理由はなんですか?

海外拠点があったり、Trippino HOKKAIDOという自社メディアを運営したりと、常に新しい刺激があるからですね。私はまあまあ飽き性なので、同じことを延々続けるのは苦手なんです。同じサイト制作でも海外だと進め方や視点が違うし、やりたいことがあったときにすぐチャレンジできる土壌もある。それをうまく社外にアピールしきれていないのは課題ですが、いい環境だとは思います。

最近では「ギアスタ(社内勉強会をライブ配信するイベント)」をスタートして、北川さんも登壇されましたね。

ギアスタに関しては自分の参加よりも、若手の発表がすごく楽しみです。どの業界もそうだと思うけど技術もノウハウもどんどん新しくなるし、長年同じ仕事を続けている私こそ古いやり方をしていることも多いと思っていて。未熟な時の方が気付く発見も多いし、新たにスキルを獲得できた!っていう感覚も強いし、先入観なしにいいと思ったことを素直にみんなで共有していける環境にしたいですね。

そういえば、北川さんは京都まで箏を習いに行ってますよね!?

大学に邦楽部があって、たまたま箏の演奏を聞いた時に音色がとても美しくて、自分でも弾いてみたいと思ったのがきっかけです。子どもの頃に10年間ピアノを習っていたので、楽器に馴染みがあったのも大きいですね。
Gear8に入社してからは忙しくて触ることすらできていなかったけど、国内外を出張するようになって『あれ?京都に行くなんて簡単じゃない?』と思い始めて。それで大学時代に教わっていた先生のところに、また通うようになりました。

京都時代の演奏会。前列真ん中が北川さん。かっこいい!

それほど夢中になれる習い事っていいですね。

お稽古に行くと、気づけばほとんど休憩なしで3時間ぶっ通しでやることも多いし、休みの日も6時間くらいずっと練習してます。楽しいからというのがまずあるんですが、あらゆることを忘れられる時間です。先生に一度「仕事の時もすごい集中してるのでは」と言われたことがあって、なるほど、ハードワークで鍛えられた忍耐力がここに生かされているのかもしれないと思いました。が、逆に仕事で集中できない時に、箏三味線の古曲(ゆっくり丁寧に弾く曲)を聴いているとめちゃくちゃ集中力が上がることもあって、なんか集中するトリガーになっているのかもしれないです。夢中というか瞑想とかに近いかもしれない。これは思っている以上に精神の健康には良さそうです。

北川さんの集中力のヒミツが箏にあるとは…!どこかで社内演奏会を開催できたらいいですね。
インタビューありがとうございました!

 

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ご実家のことやGear8に入るまでのこと、水野さんとのエピソードは今回はじめて聞く内容ばかりで、北川さんが先頭を走り続けられる理由が垣間見えたような気がしました。そして北川さん自身もまた、周りの人を成長させる存在になっていると感じます。これからもみんなを引っ張っていってください!

社員インタビューその2にお付き合いいただきありがとうございました!またその3でお会いしましょう。