2022.06.16

タイで過ごした6年間とこれから。(前編)

Yuta Umeki

久しぶりのSummit記事です。タイから帰国して半年が過ぎました。
日本に戻ってきたのが9月だったので厳密には8ヶ月くらいでしょうか。

帰国した時はきっちり、2週間隔離があって羽田空港のホテルにずっといたのはいい思い出です。
隔離中は毎日コンビニに行って食料を調達する日々でした。

札幌での生活も落ち着いてきたので、GEAR8との出会い、GEAR8 Thailandの立ち上げ、
現在に至るまでちょっと長くなりますが備忘録としてまとめたいと思います。

※振り返る際に昔の写真を探すのが大変すぎて挫折しました、文章ばかりになります。すみません。
そして自分史のようになってしまい長編になりますので、暇な方だけお読みください。

タイとの出会い

初めてのタイは2009年にチェンマイ大学に留学したところから始まります。
特にタイに縁があったわけでもなく、どこでもいいので留学をしたかったという感じだったのですが、
たまたま留学の相談をした教授がチュラロンコーン大学やタマサート大学で教授をしていた経験がある方で、
タイをおすすめされたのがきっかけでした。

チェンマイ大学の経済学部に所属していましたが、大学の授業が終わった後、
大学内にあるタイ語学校で勉強しました。
語学学校では年齢や職業や国籍もさまざまで、みんな自由に今のチャレンジを楽しんでいる人たちが沢山いました。
大学を卒業したら就活をするという道しか知らなかった自分にとって
他にも色々な生き方があるんだなと衝撃を受けました。

何か誇れるような努力をしてきたことも成果や実力もなかったのですが、
語学学校で出会った人たちの生き方が頭から離れず
とにかく何か自由にやってみたいという気持ちが先走った結果、
自由といえば起業と何故かなりました。

アルバイト生活

起業にはお金がかかるからまずはお金を貯めようということで起業のアイディアも持たず就職もせず、
アルバイトを複数掛け持ちしてアルバイト生活に突入しました。
ここまではあるあるな話でしょうか。
ないないな話でしょうか。
アルバイトは午前はホテルの朝食バイト、
午後は個別学習塾とのアルバイトをしてました。
ホテルでは毎朝5:00に起きて朝食のバイキングの配膳や食事の補充などをします。
毎朝辛くて、でもきっと未来は明るいと信じて
毎朝通勤の車の中でスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学のスピーチを流して
この経験はどこかでコネクティングドットするんだと信じて頑張りました。

しばらくすると、アメリカ人の団体のお客さんが連泊するようになって
時々話しかけてくれるようになりました。

話を聞くと東日本大震災震災の影響で断熱材(スタイロフォーム)の需要が増えて、
今まで止めていた工場のスタートアップのためにアメリカの本社から長期出張できてるとのことでした。

通訳がいないからちょっと英語わかるんだったら紹介するから、
やってみないとプロジェクトリーダーの方が声をかけてくれて、面接のチャンスをいただきました。

そしてなぜかアルバイトとして採用してくれました。

正直通訳としてはダメダメでアメリカ人からイージーマニーというあだ名をつけられるなど
自分の実力の無さに絶望し辛酸をなめましたが、スタッフのみなさんがとても優しくすごく良い思い出しかありません。

そんな生活をしながらも起業のアイディアを作らないとということで、
まずは人脈作りと時間があればとりあえずビジネス関係のイベントや集会があれば申し込んでいました。

いつかの会で知り合った行政書士の先生から、知り合いが衆議院選挙に出るから暇だったら選挙の手伝いしないかと声をかけてくれて、
仕事がなくなるタイミングだったので特に政治的な信条はありませんでしたがお手伝いさせていただくことになりました。

どんな仕事をしていたかあまり覚えていないんですが、小間使い的に色々してたんだと思います。

選挙結果はというと、見事当選されましてそのままアルバイトを継続させていただきました。

代議士は東京に基本的にいるので、時々代議士の代わりにパーティーに出席させていただく機会がありました。
あるパーティーで、朝食バイトでお世話になったホテルのオーナーと同じテーブルで食事をする機会があり
コネクティングドットしたなーと実感したことを覚えています。

1年くらいそんな生活をして、少しお金が貯まったのでいよいよタイにいこうかと考えていました。
当時札幌でも少しずつ盛り上がっていたコワーキングスペースをバンコクでもやったら面白いかもと漠然と思い
留学時代からの友人で今のGEAR8でも一緒に働いてくれているアイスと一緒にやろうということでタイへと向かいました。

運任せのチャレンジ

結果バンコクに行ったはいいものの、事業計画はもちろんビジネス経験もなかったため、
事業をスタートする手前で資金は無くなり全く上手くいかず、
すぐに毎日タイチャーハンをかき込むだけの生活に突入し、
途方に暮れることになりました。

窮地に追い詰められたのですがタイへ出発する前に、携帯ゲーム向けのイラスト制作会社の社長にお会いしていて、
タイに行くならゲームのイラストを描けるクリエイターさんがいたら紹介してほしいと言われたことを思い出しました。

これならお金がなくても稼げるかもとアイスと必死でタイのクリエイターさんにコンタクトをしました。
その中から数名のクリエイターの方とトライアルに参加させて頂けることになって結果的にお仕事をいただけることになり、
継続発注をいただけるようになりました。
2013年から始めた事業ですが、現在もずっとお仕事をいただいています。
初めて自分たちで稼いだ10万円はとても感動しました。

お仕事を頂けるようになったものの、まだまだ食べていけるようなレベルではなかったため体制を整えるために札幌に一旦戻ることにしました。
札幌に戻ってからもイラストの仕事は続けながら、新しいビジネスのチャンスを探していました。

GEAR8との出会い

そんなこんなで数ヶ月札幌でふらふらしていたところ、
北海道経産産業局の方が札幌の若手の経営者の方達が集まる食事会があるから来ないかと声をかけてくださって、
その会で自分の前に座っていたのがGEAR8の水野さんでした、
GEAR8はこれから海外に拠点を作っていきたいというタイミングで色々と事業展開の話をしてくれました。
その会には北海道情報大学の先生もいらっしゃって、
ちょうどタイの大学から学生が研修にきてワークショップをしているから水野さんとセミナーをしてみないかとお声がけいただきました、
自分が話したセミナーの内容は一切覚えていませんが、水野さんがAUDIで迎えにきてくれた時この人の弟子になろうと決めました。
しばらくしてGEAR8に入らないかと声をかけていただき、どうすれば事業を上手く成長させられるのか、
側で学びたいという気持ちから即答でお願いしました。

Trippino Hokkaidoの開発とGEAR8 Thailand

入社してからは、タイ人観光客向けアプリTrippino Hokkaidoの開発とマーケティング、
GEAR8 Thailandの設立準備などをメインに2年間過ごしました。

ちょうど2013年のタイミングでタイ人の訪日の際のビザが緩和したことで、
多くのタイ人が北海道に興味を持っていました。

札幌を拠点にしているGEAR8が何かできないかチームのメンバーで考え、
タイ人観光客に向けてガイドブックに載っていないローカルな北海道情報を届けるメディアを
Webとアプリで展開しようということになりました。

開発に際して、何度もタイに足を運んで機能面はもちろんサービス名からヒアリングを行い開発を進めました。
初めての自社サービスということもあり手探りでしたが、約1年間の開発期間を経てなんとかリリースに漕ぎ着けることができました。
コロナ前までは約50,000人が使ってくれるサービスに成長しました。

Trippinoのリリースに伴い、タイにも現地法人をつくることになり
2016年の27歳の時、GEAR8 Thailandでの生活がスタートしました。

つづく

Facebook
Twitter

Yuta Umeki

1988年熊本生まれ、札幌育ち。弘前大学在学中にタイ チェンマイ大学へ留学。

GEAR8では、自社メディアTrippino Hokkaidoのサービスリリースをきっかけに、2016年から2022年までタイ法人の立ち上げから運営を行ってきました。

2022年8月から拠点を札幌に移し、主に海外展開を担当しています。「誰も知らない、だからやる。」をモットーに未知へのチャレンジを続けています。少しでもクライアントや社会の役に立てるよう、GEAR8という組織を通じて貢献していきたいです。